小磐梯

幸いなことに、このところ日本国内でも世界でも大きな自然災害は起きていないようだ。こういう状態がずっと続いていってほしいと心から願う。

ところで、噴火や大地震発生のニュースを聞くたびに思い出す、ある小説がある、井上靖氏の『小磐梯』という短編である。

1888(明治21)年、福島県にある磐梯山は大噴火を起こし、頂上の小磐梯と呼ばれる部分は、水蒸気爆発で跡形もなく吹き飛んでしまった。土石流は北側の斜面をあっという間に流れ下って川をせき止め、そこに無数の湖を作った。現在の磐梯高原(裏磐梯)の風景はこの時に形作られたものである。

井上氏の『小磐梯』はその大爆発が起きた時、喜多方方面から磐梯山北側に測量のために入っていた役人の手記というかたちを取った小説である。一行は山に近づくにつれ、「ここから先に入ってはいけない」と気がふれたように語る老人に遭遇したり、無数の小動物が我先にどこかに逃げようとする様を目の当たりにしたりする。

そして最後に、うち続く地鳴りや揺れで不安に駆られた住民が、山に向かって「ぶんぬけるんなら、ぶんぬけてみろ」と叫んだ瞬間、火山は人間の叫びに答えるかのように大爆発を起こす・・・。そんな劇的な小説である。

私は随分前、FMでこの小説を脚色したドラマを聴き、この短編のことを知った。そのドラマのクライマックスの住民の叫びの部分は、これぞ放送劇といった感じで素晴しかった。

その後、井上さんの書いた随筆で、「ぶんぬけるなら、ぶんぬけてみろ」という場面がどういったところから来ているのかを知って、感動はさらに深まった。氏は民俗学者の柳田國男がまとめた濃尾平野の水害の記録をヒントに、あのシーンを書いたというのである。豪雨で平野の大河がまさに堤防を越えようという状態になった時、不安の頂点に達した住民が「えこせばえこせ(越えられるものなら越えてみろ)」と叫んだ途端、川はドーンと堤を破って押し寄せてきた、というのである。

井上さんは「その記録を読んで思わず唸ってしまった」と書いていたが、氏の随筆を読んだ時の私の思いもまさに同じだった。

なぜ今こんな文章を出すのかといぶかしくお思いの方もおられるかと思う。特に理由はないのだが、現実に災害が起きた時には書けないので記してみた次第である。

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