二代目玉川勝太郎さん江

浪曲一般には興味がないが、二代目玉川勝太郎だけは好きで、昔から繰り返し聴いている。浪曲はしばしば説明的でくどいが、勝太郎の浪曲と語りは上品でスピード感に富み、本当に洗練されていると思う。

特に優れていると感じるのは、人物描写の的確さだ。天保の時代、下総の笹川繁蔵と飯岡助五郎との抗争を描いた『天保水滸伝』は多くの方がご存じだろうが、ここには魅力あふれるバイプレイヤーたちが大勢登場する。中でも好きなのは敵役助五郎の一乾分(いちこぶん)、洲崎政吉(すのさきのまさきち)だ。

政吉は親分助五郎を常に立てながら、自ら仕切るところは果敢に仕切っていく。「付けなきゃならねえ始末は、及ばずながらこの政吉がつけます」と言いながら、親分に意見をするあたりは、何遍聴いてもジーンとする。組織で生きていく中でいちばん難しいのは、「どこまで自分で決め、どこからは上に上げるか」ということだが、その点政吉は実に見事だ。

おっと脱線した。血で血を洗う仲の笹川から花会(各地の親分衆が集まる場)の案内状を飯岡一家は受け取るのだが、親分助五郎は足を運ぼうとしないばかりか、祝いの金すらろくに出そうとはしない。親分の名代として花会に出ることになった政吉は、不安な思いを胸に笹川への道をたどるのだった。政吉はどう乗り切っていくのか。中間管理職必聴の名盤だ!

話の中身にちょっとだけ触れておくと、笹川の花会には諸国の親分たちが綺羅星のごとく集まっていた。笹川からさほど遠くない飯岡にいながらやって来ない助五郎のことを、国定忠治は満座の中で罵倒し、政吉のあいさつを受けようともしない。その時、助け舟を出してくれたのが、忠治と同郷、上州の大親分・大前田英五郎だった。「親に罪はあっても子に罪はねえよ。な、いい若いもんだ。声だけかけてやってくれ」と、傍から忠治と政吉の間をとりなす場面にはいつも胸が熱くなる。

この他、仙台魚町・丸屋の忠吉など、いいんだなあ。

『天保水滸伝』で特に好きなのは、曲師の玉川菊江さんの三味線と合いの手だ。控えめでありながら前に出るところは出て、勝太郎の語りと曲と絶妙のコラボを形成している。民謡のソエ掛けもそうだが、こうした合いの手で作品は全く違ったものになってしまう。浪曲の合いの手にはくどいものが多いが、菊江さんのは絶品だ。

大分前のことになるが、いちど『水滸伝』の舞台を見ておきたいと、九十九里海岸の飯岡町や利根川沿いの笹川町を訪ねたことがあった。(その後の町村合併で名前はすっかり変わってしまった。)

飯岡から笹川への道を車で走りながら、「ここを通って政吉たちは笹川に向かったのか」と感慨にふけった。浪曲では「夏目、清滝いつしか越えて」とあるが、実際には清滝、夏目の順だという、私にとっては大きな発見もあった。

また、房総半島の大きさを実感できたことも収穫で、江戸時代、これだけの土地を旗本などの小領主が分割していたのだから、統治もゆるいところがあって、侠客も羽を伸ばせたのだろうなどということも感じた。

その時の旅は家族も一緒だったのだが、感激しているのは当然自分ばかりで、家族はカーステレオから流れる名調子を、「全部覚えているんだからもう聞かなくてもいいでしょ」と言う始末だった。

二代目玉川勝太郎の入手できるCDは実に限られている。もう少し聴けたらなあ、というのが叶わぬ願いである。

 

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