フランスの武器輸出をめぐって

外国のテレビや新聞に目を通していて面白いのは、そこで大きく報じられている事柄が日本では全くと言っていいくらい伝えられていないことに気づかされる時で ある。世間が内向きになっていることを反映して、日本のマスメディアでは、国内ニュースの比重が圧倒的に高まっている。そうしたニュースを見ているだけで は世界の動きは分からない、ということを素朴に感じる。先日のシャルリー・エブド社襲撃事件のような事件が起きれば、もちろん日本のメディア各社も一斉に それを大きく取り上げるが、そうした中でも事件の歴史的な背景が説明されることは少ないから、見る側はその事件がどのような歴史的な経緯で発生したのか が、よく分からないままで終わってしまう。

昔、放送局にいた時、先輩から「テレビは常に三つのテンス(時制)を意識していなければだめだ。 どうしてそれが起きたのか、今何が起こっているのか、そしてこれからどうなっていくかという、過去、現在、未来の三つの視点が不可欠だ」と何度も聞かされ た。全くその通りだ。ただ分かってはいても、これらの要素を全部満たしていくことは難しい。放送とは何よりも現在、起きていることを伝えることに最も強い 力を発揮するメディアだから、これだけ事件事故の多いご時勢、今というテンスに引っ張られるのは致し方ない面もあるだろう。ただそうは言っても、昨今のテ レビは目の前のことや近くで起きたことだけに引っ張られすぎているのではないか、という気はする。

最近、ヨーロッパの放送や新聞で大きく報じられたニュースに、フランスの軍用機がエジプトに輸出されることが決まったというのがあった。2015年2月、フランスの航空機メーカー、ダッソー・アビエション社の最新鋭の戦闘爆撃機「ラファール」24機が、エジプトに輸出されることになり、オランド大統領自らが契約の締結を宣言したのである。エジプ ト政府はラファールの他に、フリゲート艦などもフランスから購入することになっており、支払金額はトータルで57億米ドル(およそ6720億円)という巨 費に上る。しかも、その購入資金のかなりの部分は、サウジアラビアなどの湾岸諸国がエジプトに対し融資することになるのだという。

各メディアは、「これまでアメリカ製の兵器だけに依存してきたのを改め、武器の入手先を多角化したいエジプトと、武器輸出を国内の雇用や経済の改善につなげたいフ ランスの意向が合致して今回の契約が成立した」と報じていた。このニュースはユーロニュースなどでも大きく取り上げられていたが、私の知る限り、日本の放 送や新聞ではほとんど見掛けなかった。

この武器輸出のニュースをフランスのテレビや新聞は、おおむね肯定的に伝えていた。しかしそうした記事を見ていて、私はある種、違和感を禁じ得なかった。というのは、これまでフランスのメディアの多く、特に中道左派と言われるルモンド紙などは、エジプト の現在の政権であるシーシー大統領に対し、ずっと批判的だったからである。シーシー氏は、2011年のいわゆるエジプト革命によってムバラク大統領が退陣 した後、2012年からはムルシー大統領の下で国防相を務め、さらに2013年7月にはクーデターによってムルシー氏を追って、事実上の最高実力者となっ た人物である。そして2014年6月に行われた大統領選挙で、シーシー氏は正式に大統領の座に就いた。

このような経緯から、フランスの多くのメディアはシーシー氏については、民主化運動を押さえ込み、軍部の力によって政権を奪取した人物として、厳しい報道を行ってきた。しかし今回、巨額の武 器輸出が成立したことに関しては、そうした批判よりも、武器の輸出がフランスの経済や雇用に与える好影響を評価する論評の方が多かったように思う。

例えばルモンドの2月21日の週間版の社説は、次のようなものだった。
「angélismeは無しにしようではないか。武器輸出はフランスの国防にとって、また貿易収支にとっても、重要な要素のひとつである。武器の輸出は多 くの産業分野における需要の拡大をもたらすし、最新技術の飛躍にも貢献する。武器の輸出によってフランスの軍隊が必要とする材料費のコストを下げることも 可能になる。(※武器の量産によって、その生産コストが削減できるという意味である。)・・・武器の輸出ということを遺憾に思うか、祝福するかは別とし て、それは世界において強国というものが持つ属性のひとつである。・・・発表されたエジプトに対するラファール24機などの輸出は、悪いニュースではな い。それは国内における雇用や最先端技術の水準を維持することにもつながるし、フランスの政治的影響力を維持していくことにもなるからである・・・・」
文中にあるangélismeとは、物質的なものを離れ、純粋で精神的なものを求める態度のことである。

社説は上記のように述べた上で、シーシー大統領の強権的な政治手法に対する批判を展開していく。政治のあり方を厳しく批判しながら、一方でそうした統治を 行っている国に対する武器輸出については、それを手放しで(!)肯定する。これは、我々日本人には非常に分かりにくいレトリックである。しかしこれを書い た人の頭の中では、ふたつは全く矛盾していないのだろう。

この文章を読んでいて、私は1995年、フランスが南太平洋のムルロア環礁で地下核実験を再開した時のことを思い出した。フランスは国際世論の反対を押し切って、実験を行ったのだが、当時のシラク大統領はタイム誌のインタビューに答え、次のように語った。
「フランスに対する反発は誇張されている。その証拠に、フランスから武器を購入する国は少しも減っていない」

フランスの政治家の多くは、核実験や武器輸出を含め、自分たちの国を守るために感傷を排して最善最強の抑止力を追求することは、二度の大戦を経験したフラン スにとっての死活問題だ、と考えている。そしてそうした姿勢は、メディアのかなりの部分にも共通するものがあるように思う。

私も含め、日本人は本当にウブだ。もちろんそれは良い面でもあるのだが、世界ではそういった性格の国民は圧倒的な少数派だろう。今回紹介したような論説を一流とされる新聞の一面に発見すると、日本とフランスの思考とメンタリティの違いを痛感せざるをえない。

いずれにせよ、フランスという国は、芸術の国フランス、ファッションの国、グルメの国というだけの国ではない。大変な軍事大国、技術大国であり、端倪すべか らざる国である。しかし若い人たちの話を聞く限り、彼等のフランスのイメージは以前と全く変わっていないように見える。本当に、日本のメディアだけを見て いては、世界は分からない。世界はこんなに激しく動いているのに、日本はこんなに内向きでいいのだろうか。

 

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