「メディアとフランス」、お世話になりました

私事で恐縮ですが、この春をもって名古屋大学を離れることになりました。7年の間、まことにお世話になりました。元々メディアの世界しか知らなかった自分をフランス語科の先生方をはじめ研究科の皆様は暖かく迎え、ご指導下さいました。授業を一緒に作ってくれた学生の皆さんにも心から感謝します。

着任した当時、自分がフランス語科のHPに記事を書くようになるとは夢想だにしませんでした。ですから飯野和夫教授から「何か書かないか」とお誘いをいただいた時は大いに迷いました。しかし、「何事もやらないよりやった方がいいだろう」と考え、拙文を載せていただくことにしました。お読み下さった方、貴重な感想やご教示をいただきました方々に、この場を借りて深く御礼申し上げます。

連載の内容は「メディアとフランス」というタイトルでありながら、だんだん政治や社会一般のことに広がっていってしまい、忸怩たる思いがします。しかし私は、メディアというものはそれだけで独立し、完結した領域であるというふうには考えていません。政治、経済、文化、歴史などあらゆることが関わってくるのがメディアです。メディアに関する勉強も同じことでしょう。メディアコースの学生諸君には「世の中のことは全部はつながっているんだ。だから幅の広い好奇心を持ちなさい」と繰り返し言っております。

そのように偉そうなことを言ってはおりますが、自分自身が書いてきたものを眺めると、何十年かメディアの世界で仕事をしてきて、また多少勉強もしたつもりだけれど、形になったものはこれだけかという気がします。書家の篠田桃紅さんは「人生、やり尽くすことはできない。いつもなにかを残している」と言っておられます。篠田氏に比するのはおこがましい限りですが、その言葉に深い共感を禁じ得ません。

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連載の中では、メディアをめぐる制度や制約についても何回か触れてきました。私はメディアの編集権や言論の自由というものは、最初から確立されたものとして存在している訳ではなく、日々の葛藤や格闘の中で彫琢されていくものだと考えています。学生諸君と話していると、彼等が編集権や言論・取材の自由といったものをどこかからか、あたかも「配給」されたもののように感じているふしがあって、「そうじゃないんだよ」と言いたくなることもあります。

また私は、メディアに関してどんなに素晴らしい制度が作ったところで、それを動かしていくのは結局人間だとも考えています。その意味でメディアに関係する人々(それはメディアに日々接している方々ももちろん含んでのことですが)の見識と力量が常に問われているのだと思います。マックス・ウェーバーは「一国の政治は所詮、その国の国民の民度以上に出るものではない」と喝破しましたが、メディアについても同様のことが言えるのではないかと思います。

人生を長く生きてきて、人間と人間の間には絶望的なまでに深い川が流れているのかもしれないと思うことが増えました。しかしそこにか細い橋を架けようという試みが、表現であったりメディアの仕事であったりするのかもしれません。

最後に贅言を申しました。皆様のますますのご発展を心よりお祈り申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。

 

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