causeをめぐる議論

ヨーロッパでも同じことだろうが、アメリカの政治の動きや政治家の発言を見聞きしていると、日本に比べ非常に理屈っぽいという感じがする。これは当たり前のことなのであって、「政治とは言葉によって人を動かすものだ」という考えが、政治家にも国民にも常識以前のこととして定着しているのだろう。そして、言葉を通した議論の中で最も重視されるのは、causeというもの、つまり理念、大義である。

それに比べると、日本の政治は何よりも「状況優先」という感じがする。理念をぶつけ合うより先に、全員が状況への「折衷」に邁進していく感じがする。

現在アメリカの政治の最大のテーマは、「国民すべてを対象にした医療保険制度を導入するか。導入するとしたらどのようなものにするか」という問題だろう。この問題は実に複雑だから、外国人にとっては毎日のテレビや新聞を見ていても、完全に理解することは難しい。

ただ私が何より興味深く感じたのは、政治家たちが特に議論の当初、「連邦政府の役割とは何か」といった点について積極的に発言していた点だ。連邦政府と州政府との役割の分担、また政府と民間の役割をどのように考えていくかという問題は、建国以来アメリカ政治の最大のテーマだが、そうしたポイントが今回の医療保険をめぐる議論の中で、再び脚光を浴びたことが興味深かった。

共和党議員の「国が経済の問題に介入することは、国民が多様な選択肢を手にするための妨げとなる」などという発言を聞くと、アメリカ政治史の教科書で読んだ19世紀の議論が21世紀の今に再出しているような気がした。

隣の芝生は常に青く見えるものかもしれないが、日本の政治においてもコーズやイデーのぶつかり合いをもっと見たいと思う。

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