「名誉の死」をめぐって

私が「名誉の死」という言葉を意識するようになったのは、1990年代の初め、ヨーロッパで暮らしていた時のことである。フランス東部、オー・ラン県で起きた、イスラム系の少女殺人事件を伝えるニュースの中で、欧州のメディアはこの言葉を頻繁に伝えていた。それはこんな事件だった。

東欧などからの外国人の流入の著しいアルザスの町で、トルコからの移民を両親に持つひとりの少女の絞殺死体が発見された。捜査の結果、犯人は何とその女の子の両親と親戚であることが判明した。小アジア半島からやってきた両親は、少女が男友達と付き合うようになって遊び癖がついたことから、このままにしておけば、一族の名誉が汚されると判断して、故国の掟にしたがって娘に名誉の死を与えたというのである。

それまで「名誉の死」などという言葉も知らなかった私は、そんな「習慣」がこの世の中に存在しているということが信じられなかった。どのような理由があるにせよ、親が自分の子どもを殺害し、それが正当化される社会が地球上にあるなどとは、にわかには信じ難かった。

オー・ラン県の事件でさらにショッキングだったのは、訴えられた両親が法廷で、「自分たちは故郷の小アジア地方では当たり前とされていることをしたにすぎない」と声高に主張したことだった。検事が論告に立つと、法廷は、両親を支援するために駆けつけた移民たちの怒号で埋まった。私は裁判の模様を伝えるニュース映像を見た時の衝撃を、今も記憶している。両親のしたことはフランスの社会においては単なる殺人でしかない。しかし、そこにやってきた移民たちには、「フランスではフランス社会の普遍的な決まりである法律に従わなければならない」という意識がまったく存在していなかったのである。

それから20年以上の時間が経過した。しかし、ヨーロッパにおいて「名誉の死」をめぐる状況は変わっていない。中東や南西アジア、アフリカなどから欧州に流入する難民や移民の勢いはとどまることを知らず、それにともなって、移民たちの習慣や意識と、流入先の社会の法がもろにぶつかりあうケースは、さらに増えていく勢いである。

欧米のメディアは、移民の故国・パキスタンなどで次々に発生する「名誉の死」事件を頻繁に報じている。事件を伝える報道に接する中で、私は伝え手の「こんな理解しがたい考え方と習慣を持った人間が、自分たちの社会にどんどん入ってくる」という恐怖心を強く感じることがある。

そうしたフランス人たちのメンタリティをとらえて、国民戦線(FN)の創始者であるジャン=マリー・ルペンは移民排斥の主張を繰り返してきた。彼によれば、人間とは祖先から与えられた文化的な枠組みから離れられない存在であり、移民たちにフランスの文化や習慣に同化することを期待することなどそもそもできはしないというのである。そして、そうした考え方に共鳴する人たちの数は、フランス国内で確実に増加しつつある。

「名誉の死」が行われる舞台は、ほとんどがイスラム教の国である。中でもパキスタンでは年間千人以上もの女性がその犠牲となっている。しかも多くの場合、殺害を実行した当事者は法的な処罰を免れている。これはどうしてなのかは後で述べるとして、まず、ある事件の概要から伝えていこう。それは、「名誉の死」のニュースに半ば慣れてしまった欧州の人たちをも驚かす展開の出来事だった。

パキスタンのある地域に19歳の女性が暮らしていた。彼女はある男性と恋に落ち、結婚を望んだが、家族は猛烈に反対した。パキスタンでは女性の結婚相手は親が決めるのが当たり前だからである。彼女は親の意向に背き、ボーイフレンドと駆け落ちをして家庭を持った。しかし父と叔父は娘の居場所を探り出し、川沿いの場所に連れ出して、彼女の殺害を企てた。家長に反抗し、その結果、一族の名誉を汚したことを理由に「名誉の死」を与えるためだった。

父親と叔父は娘を殴打した後、頭部をねらって拳銃を発射した。倒れ込んだ娘を二人は大きな袋に詰め込み、川に沈めてから車で走り去った。自分たちはこれで家族の名誉を回復したのだと考えながら。

銃弾は顔の左側を貫通し、娘は川の中で意識を失っていたが、まだ息絶えてはいなかった。川の水の冷たさが彼女の意識を回復させた。娘は渾身の力を振り絞って袋から這い出して岸にたどり着き、近くのガソリンスタンドに救いを求め、九死に一生を得た・・・。

何ともやりきれない事件である。しかも、この事件の実行者たちは法的な裁きを受けていない。これどころか、このケースに限らず、パキスタンでは「名誉の死」の実行者はほとんどの場合、法律によって処罰されないのだという。パキスタンの法律では、たとえ傷害や殺人事件を起こしても、その動機が「家の名誉を守るため」ということであった場合、実行犯には事実上罪を逃れられる規定が存在しているからである。

具体的には、被害者の配偶者などが訴えを取り下げれば、名誉の死の実行者は訴追されない。つまり、犠牲者の家族が殺人者に「許し」を与えることができるのである。だから父親が駆け落ちして結婚した娘を手にかけても、娘の夫が「許す」という意思表示をすれば、殺人の実行者は免訴となって自由の身になれるのである。

警察は駆け落ちした娘の父親と叔父を逮捕した。拘束された父親は、「娘は我々一族から名誉を奪い去った」と主張した。「ミルクの缶に一滴、小水を落としたとしよう。そうなれば、その缶全部がだめになってしまう。自分の娘がやったのはそういうことなのだ・・・」

事件の直後、娘は、自分を撃った父親と叔父を公開の場で同じようにしてほしい、と主張した。そうすれば、自分が殺されかかったような事件は今後起こらなくなるだろう、と考えたのである。しかし、父と叔父を許すようにというすさまじい圧力が、家族や地区の年長者から夫婦にかかった。娘の夫は、結局親族への訴えを取り下げた。そうするしかなかったのだ、と夫は言う。最終的に娘も同意し、娘の殺害を図った父と叔父は釈放された。

放免された後、父親は、今回自分がとった行動によって、自分は皆から尊敬されるようになったと誇らしげに言う。「娘をもう手に掛けようとは思わないが、自分の子孫、子どもたちが娘のしたようなことを二度と起こさないようにしたい」

以上のような事件の経緯と肉声はドキュメンタリー映画として記録され、主人公の劇的な人生行路を追った作品、”A Girl in the River: The Price of Forgiveness”は、今年2月末に開かれたアカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞した。この映画の国際的な反響を受けて、パキスタンのシャリフ首相は法律を改正し、名誉の死の実行者の訴追制度を見直すことを約束している。

ここまで紹介した事件はもちろんパキスタン国内で起きた出来事である。しかし、南西アジアやアラブ地域からの移民や難民の流入が激増する中、同様のことが今後、フランスや西ヨーロッパでも数多く起きてくる可能性は十分にある。それは冒頭に紹介したアルザスの事件からも明らかだろう。フランスでは、社会を構成する集団の慣習と国家の方が食い違うという事態が日常化しかかっているのである。

20世紀、フランスから生まれた構造主義の思想は、世界の各地域には複雑で精緻な構造と、それに対応する言語構造が存在することを明らかにした。この考え方に立てば、ある文化が別のものより優れているとか劣っていると言うことはできない。構造主義の思想は、ヨーロッパを唯一の規範とする考え方に見直しを迫り、20世紀の思想に大きな影響を与えたのだが、それでは「名誉の死」に関しても、「それぞれの社会にはそれぞれの規範と習慣がある」と容認したりできるものだろうか。

先日、教室でこの問題を取り上げたのだが、少なからぬ学生が「民主主義とか人権とかは西洋起源の価値観、考え方であり、それを中東や南西アジアに押しつけることはできないのではないか」という意見を述べていた。そう簡単に割り切ってしまっていいのだろうか、と私はずっと考え込んでいる。

 

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