斎藤茂吉

去年の末、突如東海岸を襲った大雪のことを書いた記事の中で、斎藤茂吉の晩年の歌のことについて触れました。お読み下さった何人かの方から、「今時、茂吉を読むのか」と珍しがられました。

歳月の力というのは恐ろしいもので、その時どんなに読まれた本でも、時間とともに読者と社会に刻まれた刻印が風化していくのは避けがたいことでしょう。若い頃愛読した文章を年齢を重ねてから再読して、その浅薄さに愕然としたという経験は、多くの方がお持ちではないかと思います。しかし一方で、深く刻まれた本物の跡は、時が経っても消えることはないでしょう。

経済学者の中山伊知郎氏と言っても、もう記憶されている方は少なくなってしまったでしょうか。昭和30年代の初め頃、氏が同じく経済学者の東畑精一氏などと文学談義をしていて、「今から100年200年後、残っている文学者は誰だろうか」という話になったことがあったそうです。中山氏たちの結論は「斎藤茂吉かなあ」ということだったと、どなたかの随筆で読んだことがあります。

中山氏も東畑氏もいずれも当代随一の学者でしたが、今そうした立場にいる方々が集まったとして、その場でこんな書生談義を交わすことがあるでしょうか。世紀が変わってもう10年。日本社会の指導層に幅のある方が減ったのは間違いない、という気がします。

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