ユーロニュースというチャンネル

ヨーロッパから欧州全土だけでなく全世界に向けて発信されているテレビに、「ユーロニュース」という放送がある。ユーロニュースは24時間ニュースを送り続ける、いわゆるニュース専門チャンネルで、誕生のきっかけは1991年の湾岸戦争だった。この戦争の中でアメリカのCNNが圧倒的な情報量と発信力を示し、政治と戦争そのものを動かしたことはよく知られているが、それに衝撃を受けたヨーロッパの公共放送各局は、欧州の視点でニュースを伝えることをめざし、共同でこのテレビチャンネルを創設したのである。

運営の主体はヨーロッパの公共放送局が組織するEBU(欧州放送連合)。1993年1月1日の開局以来、フランスのリヨンにある本部から衛星やケーブルなどを介して世界中にニュースと情報番組を送り届けている。

このチャンネルの財源はEBUの加盟局が分担して支払う負担金と、CM放送から得られる広告収入で成り立っている。長年慢性的なに財源不足に苦しんできたユーロニュースだが、最近では比較的安定した収入を広告から得られるようになってきている。

ユーロニュースの放送の特徴のひとつは、多言語による配信である。ニュースは13の言語で伝送される。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語、ロシア語、ポーランド語、ウクライナ語、トルコ語、アラビア語、ペルシャ語。これらの言語によるコメントが、音声多重機能によって放送に載せられるのである。

ユーロニュースはまたインターネットによる配信にも当初から積極的で、日本でもネットを通して生の映像を見ることができる。私はそれを眺めながら、今、ヨーロッパでどんな問題が大きく扱われているかをよく確認する。そこでは、アメリカのメディアでは扱いの小さい中東やアフリカのニュースがきわめて大きく扱われていることも珍しくなく、そんな発見もこのチャンネルに触れる楽しみのひとつである。

ではこのユーロニュースが面白いかと言うと、それには即答が難しい。ご覧頂ければすぐに気がつくことだが、このチャンネルのニュースにはいわゆるアンカー(キャスター)という人間がいない。どこの国の放送でも、ニュースと言えばアンカーやアナウンサーが画面に顔を出して内容を伝え、プログラムを進行させていくのが当たり前だが、ユーロニュースにはそういった番組の軸になる存在がいない。ニュースはビデオの映像にコメントを上乗せしたかたちで淡々と進んでいく。記者がニュースの現場から顔出しでリポートや中継を行うこともあるが、そうしたこともそれほど多くはない。

という訳でユーロニュースに対しては、「この時間のニュースはこの人が伝えてくれている」とか、「この時間にチャンネルを合わせればこの人が見られる」といった、放送に対する親近感や帰属感が生まれてきにくいのだ。ユーロニュースが伝統的にキャスターを立てない最大の理由は、ヨーロッパ全域で受け入れられるような、普遍的な魅力がある人物が見つかりにくいからだという。

私はチャカチャカした演出過剰のニュースや、アメリカ型のあまりにキャスターがスターになってしまったようなニュースショーは苦手だが、ユーロニュースを見ていると「こういうのも極端だなあ」と感じる。放送においては、「誰がそれを伝えているか」ということは、きわめて大事な要素だと思うからだ。

放送の世界に入って間もない頃、私はこんな経験をしたことがある。それは自分にとって、文字通り目からうろこが落ちるような出来事だった。

四国の放送局で、梅雨末期の集中豪雨関連の番組を長時間放送していた時のことである。丸一日以上連続して地域放送を続けたのだが、その中でベテランのアナウンサーが画面に出て情報を伝えている間は、視聴者からの電話はまったく掛かってこない。しかし、ひとたび若くて未熟という印象のアナウンサーが登場するや否や、ニュースのデスクには「裏の堤防が今にも決壊しそうだが」といった、不安を訴える電話が殺到してきたのである。

その時の経験を通して私が確信したのは、テレビというメディアが伝える情報は、その情報を伝える人間のパーソナリティによって濾過されて、初めて人々に伝えられているのだ、ということだった。たとえ同じ言葉を耳にしたとしても、受け手の反応は、それを誰が伝えているかによって、百かゼロほども違ってくるのである。

もちろん今書いたようなことは、ユーロニュースのスタッフも先刻ご承知だろう。分かってはいても、多民族・多宗教・多国家のヨーロッパ全部をカバーできるような人材はなかなか見つけられない、それほどまでに欧州は多様だということなのだろうと思う。

 

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